休職2ヶ月目の変化と過ごし方
以前、適応障害の一ヶ月目が一番辛い、という記事を書きました。
その続きとして、
二ヶ月目がどうであったか、今回はそのお話をします。
苦しかった1ヶ月目に比べて、
職場のことを忘れ、生活に集中でき始めた月が2ヶ月目だったと思います。
一般的に『適応障害は最低でも3ヶ月』というのは
私の中では理にかなっている、と思います。
個人差はあるものの、ざっくり言うと、
1ヶ月目=苦しい、辛い
2ヶ月目=辛さから解放されて徐々に生活が出来始める
3ヶ月目=生活がほぼ出来るようになり復帰について考える
こんなステップがベーシックとされていて、
2ヶ月目まではこれとほぼ変わらなかったです。
大きく分かれてくるのは3ヶ月目からかな、と思いますが、
それはまた後程書くとして、今回は2ヶ月目の変化と過ごし方について書きます。
①薬の服用を始めた
これは特殊なのかもしれないですが、
先生が
②仕事(自分の職場)に興味が無くなった
薬でポーっとするようになり、寝てばかりの私は
この時期、ビックリするくらい、仕事への興味を失っていました。
それは、自分でも意外でした・・・
良くも悪くも全く気にならなくなるのです。
とくに自分の職場。
復帰についても何も考えておらず、
「高い税金払ってきたんだから、まだ休んでて良いよねー。」と、
長過ぎるGWを過ごしていました。
ただ、『全く興味が無くなった』のは自分の職場に対してだけで、
その頃よく観ていたのは『令和の虎』というビジネスYOUTBEです。
これは
色んな経営者から『仕事』がどう見えてるのか、を観て楽しんでいました。
職場への興味は無くしても良いけど、仕事への興味は失ってはいけないと思います。
転職を選んでも、復職を選んでも、起業するにしても、
わたしたちはまた社会に戻っていく必要がある人がほとんどですから。
そのときに
自分の職場を連想させるような(似た環境の)番組はオススメしません!
自分とは全然関係無い仕事の人の物語を純粋に楽しむ中で、
自分もこんな考えで働きたいな~とか、
この人の仕事、尊敬出来るなあ、など
その程度でも思えたら充分です。
③家族・友人との時間を持つ
薬も飲みはじめ、ときどき外出できるようになったころ、
離れて住んでいる弟家族や親戚に会いました。
父の1回忌だったのです。
普段一人きりで過ごしているので、
大切な人に会えたときの嬉しさや楽しさは
いつもに増して嬉しかったです。
私は両親が二人とも他界していて、
弟家族が離れたところに住んでいて
普段そのつながりを感じることは少ないのですが、
やはり両親が暮らした実家へ行き、
そこに住む姪や弟夫婦、親戚に会うと、
言葉では言い表せないくらい満たされた気持ちになります。
その安心感からか、体調も上向きになり、
家に帰ってからも、そこで過ごした4日間の余韻が長く続きました。
今辛くて仕方がないという方がいたら、
家族に会う、友達に会う、たったこれだけですが行動してみて欲しいです。
今一緒に住んでるよ、とう方は、私はとても羨ましいです!
生きてるから一緒にご飯を食べたり、お出かけできるのです。
仕事で忙しくしてそんな時間も作れなかったら、
あとでどれだけ後悔しても遅いし、挽回できません!!
家族と穏やかに過ごせる何気ない日は
後々何にも代えがたい時間となるので、
この機会を使って、ぜひその幸せを感じてください。
④散歩や外出が出来るようになった
私にとって二ヶ月目は5月。
気候も暖かく、過ごしやすい日々が続いてたけど、
まだ外に出たいと思う日は少なかったです。
先生から
休職2ヶ月目が過ぎて思ったこと
とにかく2ヶ月経ってから、
やっと1ヶ月目の絶望からは抜け出したような気がしました。
私にも生活があり、
洗濯をして、家事ができた、これでいい、ということを毎日振り返ってました。
先生には、2ヶ月過ぎたあたりから
というワークをするように言われていました。
残念ながらワークは3日坊主で終わってしまったのですが(笑)
頭の中で毎日3~5個は何ができたか振り返っていました。
ワークをやりだしたばかりのときは、
まだ真剣に考えても3個もひねり出せない日がありました。
何も出来ないでいる自分が許せる日。