組織は揉め事を『気のせい』『無かったこと』にしたい。
パワハラやいじめは、被害者や事実をやんわり『消す』ことに奔走される
今、休職という静かな時間の中で、やるせない怒りや孤独と戦っていませんか?
パワハラやモラハラ。
本当は加害者が100%悪いはずなのに、いつの間にか自分が「問題のある人間」に仕立て上げられ、周囲から加害者扱いをされる。
勇気を出して声を上げても、誰も助けてはくれない。
揉めるのが嫌だから見て見ぬふりです。
病んで心が折れてしまうと、さらに「あいつはおかしい」「気にし過ぎだ」とレッテルを貼られる。
「周囲が勝手に作り上げた嘘のシナリオが、あたかも真実かのように世間に認知されていく――」
私にもこういったことがありました。
私はある女性から、よくある『私だけを無視・冷遇』をされていました。
上司や人事に必死で訴えてもその内容はのらりくらりと交わされ、

いろんなことがあって疲れが出たんだろうから、まず病気を治して復帰を目指そう!
と、『解決』に向けて動くのではなく、
彼らいわく「気のせいなのに考え過ぎ」の私を『なだめる』ことしかされませんでした。
日本の組織では「波風立っていません」というふうに見せれる上長が一番評価をされるということを、上長を務める人間は誰でも解っています。
例えばそこにどんな苦しんでる人や弱い立場の人がいても、肩を貸して『場外』に連れて行くだけです。
適応障害や鬱は、環境に原因があることがほとんどですが、
それを認めると上司の評価にかかわるので、ほとんどの上司は追求してるフリはしても、
本気で解決なんて目指していません。
薬を飲んで休めば良い=環境じゃなくて本人に問題あり、ということにされます。



被害に遭ってるって言ってるのに誰も信じてくれない・・・
そんな、人々の冷たさや恐怖、絶望を感じたことがある人も多いはずです。
自分も二度の休職でそういった被害に遭いましたし、
同じようにメンタル不調を訴えた人には会社はいつもこの対応・・・
私自身、人を信じられなくなったとろでしたが、
先日、綾野剛さん主演の映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男~』を観ました。
そこに描かれていたのは、まさにこの「シナリオ」に人生をめちゃくちゃにされた一人の男の、救いのない結末でした。
映画でっちあげ【ネタばれ】自尊心を奪う大人の集団いじめ
あらすじ ~主人公を傷つけた人たちとその被害まとめ~
この主人公である綾野剛演じる薮下先生は、ほんのささいなことからモンスターペアレントの氷室律子の標的になり、「息子に体罰をして自〇まで勧めた!」「人種差別をした」「家庭訪問に遅れた」など、あること無いこと事実を湾曲したり、タイトルどおり【でっちあげ】て学校に訴えます。
そこでいっぺんにこんなことが起こります。
- 上司たちからは氷室への謝罪を要求される
- それだけでなく、保護者会で全保護者に罪を告白して謝らされる
- マスコミから色々誇張して「殺〇教師」と世の中に広められる
- 事実の否定をクラスの保護者たちにお願いするも全員拒否
- いじめられててかばった子の親からも見放される
- 教育委員会から責められ、上司は責任を取らずに自分が処分される
- 好きな仕事なのに停職6ヶ月の処分になる
- 裁判で約6000万支払えと訴えられる
- 嘘つき側に550人の弁護士が加担
- 医者が被害男児がPTSDだと嘘の診断を出す
これがすべて『事実かわからない』段階で、証拠も無いのに
これだけ多くの人間が、自身の保身や、怠慢や、興味本位で冤罪を作り上げていくのです。



主人公の「(職場内で)誰からも救われない感じ」が自分の経験と重なって、見ていてとても苦しかったです。
結末は表面上のハッピーエンド。本人の心だけが追いつかない。
こんな人間不信になって当然の状況ですが、そこは物語なのでほんの一筋の光が差します。
- 自分を信じてくれる妻と息子
- 自分の弁護を引き受けてくれた弁護士
- いじめられて薮下先生にかばってもらった息子の母が(報復が怖いから)証言はしないが重要なヒントを出す
その助けもあり、5800万円という法外な請求は退けられます。
しかし、結果は「一部330万円の支払い命令」。
弁護士や家族は「9割勝ったんだから!」と祝杯をあげますが、本人は喜べません。



すみません、喜べなくて・・・
この言葉に、すべてが詰まっています。
金銭を支払うような後ろめたいことは何もしていない。
それなのに、形だけは「非を認めて金を払う」というシナリオを押し付けられる。
本人の言い分は、結局最後まで通っていないのです。
10年が経ってもまだトラウマに苦しむ被害者の再出発
それから更に10年が経って、
すでに薮下先生は教職から離れていました。
そこへ弁護士が嬉しそうに伝えに来ます。
「あれからもずっと訴えを続けてきて、やっと無実と認められましたよ!6ヶ月の停職処分が帳消しになりました!」って。
主人公は静かに「・・・嬉しいです。」と言ってた、けど。
観ていた私も「良かったね!!」などなるわけもなく、



いや・・・正直ね、10年経ってるんよ、停職帳消し、・・・ハ??物質的な弁償はどうするおつもりで?
という気持ちでした。
そして薮下先生は、大好きだった教職に戻るも、以前の薮下先生とはまったく違って、
生徒に接するも『心ここにあらず』というか・・・覇気がありませんでした。
そんな薮下先生、最後に道で幻を見ます。
自分を訴えた氷室親子が、あのときの姿のままで歩いてる、という幻。
自分が受けた酷い仕打ちって、なかなか忘れられないんですよね。
私も数年前のものでも、そのときの空気感やその人たちのことをいつも思い出します。
勿論、加害者はそんなこと何とも思わなかったり、しめしめと思うようなヤツもいるでしょう。
そして無罪判決になったとしても誰一人責任をとっていません。
無理やり謝罪をさせた学校も、好き勝手悪者にしたてたマスコミも、
事実を知りながら証言しなかった人たちも・・・。
全体を通して悲しい、けど
これは私たちも体験したこととよく似ていませんか?
休職者に押し付けられる「不幸中の幸い」を喜べという圧。
これを休職した私たちに当てはめると・・・
パワハラやいじめの加害者が何の処分もされてないのに、
「とりあえず、病気が治って復帰できるまでになったんだから、良かったじゃないか!」と言われるようなもの。
『不幸中の幸いを喜べ』という。
結局0がマイナスになっているにも関わらず。



それでも、何も無かったとき(健康体だったり、人を信じれたころ)に戻るのは難しかったりしますよね。
結果どうであれ、主人公が過ごした10年は取り返せない
結局教職に戻っても嬉しそうじゃない、疲れ切った薮下先生を見て切なくなりました。
10年という長い時間、みんなに好き勝手袋叩きにされたトラウマは消えず
自尊心を奪われたり自分を責めたりして過ごす、そんな10年はとてつもなく長い。
薮下先生は最後に



こんなことになるのなら、当時もっとハッキリ罪を否定すれば良かった。「場をおさめるために謝る」なんてしなければ良かった。
と後悔をしていますが、それが引き金となって悩まされ続けた10年はもう戻ってきません。
とはいえ、悪い人間はたくさん居るのだから、
自分の非を見つけて責めたとこで、前進もしないし苦しい時間が増えるだけです。
私たちは誰にも助けてもらえない。
社会や組織となるととくにそうだ。
薮下先生も、そしておそらく休職している私たちも、
どこかで「いつか誰かが分かってくれる」「正しさは伝わる」
という性善説を信じていたのかもしれません。
しかし、組織や集団の現実は残酷です。
集団になると、彼らが守るのは「真実」ではなく「組織のメンツ」や「自分の保身」にすり替わります。
さらに、優しさが仇になります。
負けん気が強くやり返せる人ではなく、優しくて誠実な人ほど、組織のシナリオ通りに「悪者」に仕立て上げられ、自尊心を削られていくのです。
主人公の薮下先生も『先生は優し過ぎます』と言われていましたが、
私たちにもそういった面がありませんか?



良くした相手からも冷たい仕打ちを受けるので人間不信になりそうです。
起こってしまったことは本当に許せないけど
やり返したり、正しさを主張するということは更に重労働となるので、
悔しいけど『自分の中で』解決を進めることが一番マシかもしれない、と思いました。
私自身、耐えがたい出来事にずっと思いを馳せるのは嫌なので
どうにか別の環境でやり直そうと努力します。
「同じ環境だとどうやっても無理だった」というのが個人の体験でいやというほど実感しました。
では、どうやって少しでも気をラクにするか。
私の場合は、せめて自分を納得させるために「落としどころ」を見つけます。
休職で大変な思いはしたけど、そのおかげで会社の経費で引っ越しできた、とか
組織ぐるみで嘘をでっちあげられクビになったときも、「それでも慰謝料的なお金はもらった」とか。
加害者に直接言えなくても、会社に「それなり」の対処をするようダメもとでしっかり訴えるのは悪いことではありません!!
少なくとも舐めきった対応をされることは防げると思います。
世の中ズルい人や悪い人はたくさんいるし、誰も責任を取りません。
ある人が、この映画を、
「日本の汚いところを凝縮したような映画だ」と表現していました。
ホントにそのとおりだと思います。
もし良かったら、この『でっちあげ』を見ることで
まず組織や周囲への期待を無くすことで見えてくるものがあるかもしれません。






